PUBLIC GENEALOGY / 人物と歴史をめぐる
真田家を知る →実在真田昌幸の家系図
幸隆の三男昌幸を中心に、兄信綱・昌輝と、息子信之・信繁の両系統を掲載。本多家・大谷家との婚姻と、孫の世代までを見渡します。
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家系図をたどる
世代数に合わせて家系図全体を表示しています。横に広い図はドラッグ・横スクロールで移動できます。人物を選ぶと、その人を中心に表示します。
関係線の見方
- 実親子・血縁
- 養親子
- 継親子
- 婚姻・配偶者
- 側室・パートナー
- 兄弟姉妹(親子線がない場合)
- 同じ子を持つ親同士
血縁を優先して世代を配置しています。養親子・継親子の補助線は、同じ世代の人物を結ぶ場合もあります。線にマウスを重ねると関係を確認できます。
図に登場する家紋と画像のクレジット
- 真田家の家紋・六連銭:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
- 徳川家の家紋・三つ葉葵:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
主な人物
真田昌幸を中心に、それぞれの人物とのつながりを紹介します。
子の正室
竹林院ちくりんいん
大谷吉継の娘で真田信繁の正室。九度山で信繁と暮らした。
子の正室の父親
本多忠勝ほんだ ただかつ
徳川氏の家臣。小松姫の実父。
子の正室
小松姫こまつひめ
1573年 — 1620年
本多忠勝の娘。徳川家の養女として真田信之に嫁いだ。
子の正室の父親
大谷吉継おおたに よしつぐ
豊臣政権に仕えた武将。竹林院の父で信繁の岳父。
孫
阿梅おうめ
信繁の娘。大坂落城後に白石で暮らし、片倉重長の後妻となった。
孫
真田大助さなだ だいすけ
信繁と竹林院の子。父とともに大坂へ入った。
兄弟姉妹
真田昌輝さなだ まさてる
幸隆の次男。信綱の弟、昌幸の兄。長篠の戦いで戦死した。
中心人物
真田昌幸さなだ まさゆき
幸隆の三男。上田城を築き、信之・信繁という二人の息子は関ヶ原で異なる陣営についた。
孫
真田守信さなだ もりのぶ
信繁の子。白石で育ち、片倉四郎兵衛守信と名乗って伊達家に仕えた。
子
真田信繁さなだ のぶしげ
1615年没
昌幸の次男。「真田幸村」の名でも知られる。竹林院との婚姻や遺児を通じて親族の広がりをたどれる。
兄弟姉妹
真田信綱さなだ のぶつな
幸隆の長男。昌輝とともに長篠の戦いで戦死した。
子
真田信之さなだ のぶゆき
昌幸の長男。小松姫を妻とし、上田・松代の真田家を継いだ。
父親
真田幸隆さなだ ゆきたか
昌幸の父。武田氏に仕え、真田氏の勢力を築いた。
子の正室の養父(諸説あり)
徳川家康とくがわいえやす
1542年 — 1616年
松平広忠と於大の方の子。江戸幕府の初代将軍。
家族関係の解説
つながりの先にある、一族の物語。
家族のつながりから、この家の歴史をたどります。
三男昌幸の前にいた二人の兄
幸隆の子を並べると、信綱・昌輝・昌幸の順になります。兄二人は長篠の戦いで戦死しました。昌幸だけを初めから家の中心として見るよりも、この兄弟関係を置くことで、家を継ぐ人物が変わる背景をつかみやすくなります。
二人の息子と、それぞれの婚姻先
信之から小松姫をたどると本多忠勝、信繁から竹林院をたどると大谷吉継へつながります。妻の父まで見渡すことで、兄弟の周囲にあった親族関係の違いが分かります。ただし、婚姻だけを理由に政治的な選択が決まったとは断定しません。
参考:真田三代の歩み
同じ家の中で分かれた進路
関ヶ原で昌幸・信繁と信之は別の陣営に分かれました。家系図の線は、その後も変わらない父子・兄弟関係を表します。政治上の対立と血縁上のつながりを重ねて読むと、真田家の分岐が一人の武将の経歴だけでは捉えきれないことが分かります。
関連する家紋
受け継がれてきた意匠から、一族の歴史をたどる。
州浜すはま
真田家の家紋の一つで、上田市の解説では祝い事での使用が紹介されています。
真田家の家紋
画像:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
六連銭ろくれんせん
六枚の銭を並べた意匠で、真田家を象徴する家紋として知られています。
画像:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
結び雁金むすびかりがね
真田家が六連銭・州浜とともに用いたとされる、雁をかたどった紋です。
真田家の家紋
画像:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
家・一族について
昌幸は幸隆の三男で、上に信綱と昌輝という兄がいました。真田家の継承を昌幸と二人の息子だけで考えるのではなく、父と兄たちの世代から見ることが、この家系図の出発点です。兄二人が長篠の戦いで亡くなったことは、昌幸が家を担う背景として重要です。
昌幸の子では信之と信繁を中心に掲載しています。信之の妻は本多忠勝の娘・小松姫、信繁の妻は大谷吉継の娘・竹林院です。婚姻先を一段外へ広げると、同じ父を持つ二人の息子が、異なる家との接点を持っていたことが分かります。
関ヶ原では信之が徳川方、昌幸と信繁がその反対側に立ちました。その後の真田家を考えるには、信之の家の存続と、信繁の子供たちの行方を分けて追う必要があります。このページでは昌幸を分岐点とする一族の構造を扱い、信繁の遺児それぞれの婚姻先は信繁の家系図でより詳しく取り上げます。
- 国・地域
- 日本
- 時代
- 江戸時代戦国時代安土桃山時代
- 人物ジャンル
- 武将大名
出典・参考資料
記録の根拠をたどり、さらに深く知る。
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