PUBLIC GENEALOGY / 人物と歴史をめぐる

真田家を知る →実在

真田信繁(真田幸村)の家系図

信繁(幸村)を中心に、父昌幸・兄信之、妻竹林院と大谷家、子大助、阿梅・大八らの系統を掲載。白石で続いた家族のつながりをたどります。

真田家の家紋:六連銭
真田家の家紋六連銭
13登場人物
13家族のつながり
6出典・参考資料

家系図をたどる

世代数に合わせて家系図全体を表示しています。横に広い図はドラッグ・横スクロールで移動できます。人物を選ぶと、その人を中心に表示します。

関係線の見方
  • 実親子・血縁
  • 養親子
  • 継親子
  • 婚姻・配偶者
  • 側室・パートナー
  • 兄弟姉妹(親子線がない場合)
  • 同じ子を持つ親同士

血縁を優先して世代を配置しています。養親子・継親子の補助線は、同じ世代の人物を結ぶ場合もあります。線にマウスを重ねると関係を確認できます。

中心人物真田信繁真田信繁 人物詳細
図に登場する家紋と画像のクレジット
  • 真田家の家紋・六連銭:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
真田信繁/イメージ肖像(AI生成)

この家系図の中心人物

代表人物

真田信繁

昌幸の次男。「真田幸村」の名でも知られる。竹林院との婚姻や遺児を通じて親族の広がりをたどれる。

02 / PEOPLE

主な人物

真田信繁を中心に、それぞれの人物とのつながりを紹介します。

正室

竹林院ちくりんいん

大谷吉継の娘で真田信繁の正室。九度山で信繁と暮らした。

子の配偶者

片倉重長かたくら しげなが

白石城主。信繁の娘・阿梅を後妻に迎えた。

父親の子の正室

小松姫こまつひめ

1573年 — 1620年

本多忠勝の娘。徳川家の養女として真田信之に嫁いだ。

子

阿菖蒲おしょうぶ

信繁の娘。白石市の解説では田村定廣の妻となったとされる。

正室の父親

大谷吉継おおたに よしつぐ

豊臣政権に仕えた武将。竹林院の父で信繁の岳父。

子

阿梅おうめ

信繁の娘。大坂落城後に白石で暮らし、片倉重長の後妻となった。

子

真田大助さなだ だいすけ

信繁と竹林院の子。父とともに大坂へ入った。

真田昌幸/イメージ肖像(AI生成)

父親

真田昌幸さなだ まさゆき

幸隆の三男。上田城を築き、信之・信繁という二人の息子は関ヶ原で異なる陣営についた。

子

真田守信さなだ もりのぶ

信繁の子。白石で育ち、片倉四郎兵衛守信と名乗って伊達家に仕えた。

真田信繁/イメージ肖像(AI生成)

中心人物

真田信繁さなだ のぶしげ

1615年没

昌幸の次男。「真田幸村」の名でも知られる。竹林院との婚姻や遺児を通じて親族の広がりをたどれる。

兄弟姉妹

真田信之さなだ のぶゆき

昌幸の長男。小松姫を妻とし、上田・松代の真田家を継いだ。

祖父

真田幸隆さなだ ゆきたか

昌幸の父。武田氏に仕え、真田氏の勢力を築いた。

子の配偶者

田村定廣たむら さだひろ

信繁の娘・阿菖蒲の夫。

03 / FAMILY STORIES

家族関係の解説

つながりの先にある、一族の物語。

家族のつながりから、この家の歴史をたどります。

「信繁」と「幸村」は同じ人物

信繁と幸村を別人にすると、父母や子供の系譜まで二重になってしまいます。ここでは信繁を表示名とし、後世に広まった幸村を別名にしています。生年は研究上の検討があるため、断定した年を置かずに関係を読める構成にしました。

参考:真田信繁と大谷吉継、そして越前松平家

竹林院と大助を通じた大谷家との縁

竹林院の父は大谷吉継です。信繁にとっては妻の父、大助にとっては母方の祖父になります。父方の昌幸・幸隆の線と並べて見ることで、大助がどの二つの家の間に位置するかを確認できます。

参考:真田三代の歩み

白石で続いた子供たちのつながり

阿梅は片倉重長の後妻となり、大八は守信と名乗りました。阿菖蒲は田村定廣につながります。白石へ移った経緯には伝承や別説もあるため、劇的な救出物語を事実として書くことは避け、資料で説明される人物関係を中心に示しています。

参考:真田幸村公遺児阿梅・大八の墓

家系図でつながりをたどる ↑
CRESTS / 家を象徴する意匠

関連する家紋

受け継がれてきた意匠から、一族の歴史をたどる。

04 / HISTORY

家・一族について

「真田幸村」の名で広く知られる人物を、この家系図では信繁として一人の人物にまとめています。祖父は幸隆、父は昌幸、兄は信之です。昌幸の家系図が一族の分岐を見渡すのに対し、このページは信繁自身の婚姻と子供たちのつながりを中心にしています。
正室の竹林院は大谷吉継の娘で、信繁との間に大助がいます。生年などは史料や研究によって見解が分かれるため、ひとつの数字に無理にそろえていません。また、掲載したすべての子を竹林院の子として結ぶことも避け、母を確認できた関係だけを示しています。
子供たちの系統では、大坂の陣をともにした大助だけでなく、白石に移った阿梅や大八にも注目します。阿梅は片倉重長の後妻となり、大八は守信を名乗って伊達家に仕えました。阿菖蒲の婚姻先も含めることで、信繁の死後も続いた家族の広がりを確認できます。すべての遺児や末裔を網羅するのではなく、資料を確認できる主要な枝を選んでいます。

国・地域
日本
時代
江戸時代戦国時代安土桃山時代
人物ジャンル
武将大名
05 / REFERENCES

出典・参考資料

記録の根拠をたどり、さらに深く知る。

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