PUBLIC GENEALOGY / 人物と歴史をめぐる

徳川家を知る →実在

徳川家康の家系図

徳川家康を中心に、父母・妻・主要な子女と、信康・秀忠の子女をたどる家系図。国立公文書館などの公開資料に基づいて人物と関係の出典を示します。

徳川家の家紋:三つ葉葵
徳川家の家紋三つ葉葵
20登場人物
30家族のつながり
12出典・参考資料

家系図をたどる

世代数に合わせて家系図全体を表示しています。横に広い図はドラッグ・横スクロールで移動できます。人物を選ぶと、その人を中心に表示します。

関係線の見方
  • 実親子・血縁
  • 養親子
  • 継親子
  • 婚姻・配偶者
  • 側室・パートナー
  • 兄弟姉妹(親子線がない場合)
  • 同じ子を持つ親同士

血縁を優先して世代を配置しています。養親子・継親子の補助線は、同じ世代の人物を結ぶ場合もあります。線にマウスを重ねると関係を確認できます。

於万の方(長勝院) 人物詳細
中心人物徳川家康徳川家康 人物詳細
徳姫(信康正室) 人物詳細
図に登場する家紋と画像のクレジット
  • 徳川家の家紋・三つ葉葵:家系図バンク制作(独自模式図・実物の厳密な復元ではありません) 家系図バンク独自制作(模式図)
徳川家康/イメージ肖像(AI生成)

この家系図の中心人物

代表人物

徳川家康

松平広忠と於大の方の子。江戸幕府の初代将軍。

02 / PEOPLE

主な人物

徳川家康を中心に、それぞれの人物とのつながりを紹介します。

正室

朝日姫あさひひめ

1590年没

豊臣秀吉の異父妹。1586年に家康の正室となった。

子の配偶者

江(崇源院)ごう

1573年 — 1626年

徳川秀忠の正室。家光・忠長・千姫らの母。

子

亀姫かめひめ

1560年 — 1625年

家康と築山殿の長女。奥平信昌に嫁いだ。

孫

国姫くにひめ

信康と徳姫の娘で登久姫の妹。本多忠政に嫁いだ。

父親

松平広忠まつだいらひろただ

1549年没

三河国岡崎城主。於大の方との間に家康が生まれた。

子

松平信康まつだいらのぶやす

1559年 — 1579年

家康と築山殿の長男。徳姫との間に登久姫と国姫がいる。

子

松平忠吉まつだいらただよし

1580年 — 1607年

家康の四男。母は西郷局。秀忠の同母弟。

母親

於大の方おだいのかた

水野忠政の娘。松平広忠との間に家康が生まれた。

側室

於万の方(長勝院)おまんのかた

1619年没

家康の側室。結城秀康の母。養珠院と呼ばれる同名の別人とは区別する。

側室

西郷局さいごうのつぼね

1589年没

家康の側室。秀忠と忠吉の母。

孫

千姫せんひめ

秀忠と江の娘。1603年に豊臣秀頼と婚姻した。

徳川秀忠/イメージ肖像(AI生成)

子

徳川秀忠とくがわひでただ

1579年 — 1632年

家康の三男。母は西郷局。江戸幕府の第2代将軍。

徳川家光/イメージ肖像(AI生成)

孫

徳川家光とくがわいえみつ

1604年 — 1651年

秀忠と江の子。幼名は竹千代。江戸幕府の第3代将軍。

徳川家康/イメージ肖像(AI生成)

中心人物

徳川家康とくがわいえやす

1542年 — 1616年

松平広忠と於大の方の子。江戸幕府の初代将軍。

孫

徳川忠長とくがわただなが

秀忠と江の子で家光の弟。幼名は国松。

孫

登久姫とくひめ

信康と徳姫の娘。1589年に小笠原秀政に嫁いだ。

子の配偶者

徳姫(信康正室)とくひめ

織田信長の娘で信康の妻。登久姫と国姫の母。娘の登久姫とは別人。

孫の配偶者

豊臣秀頼とよとみひでより

豊臣秀吉の子。1603年に千姫を妻に迎えた。

正室

築山殿つきやまどの

1579年没

家康の正室。信康と亀姫の母。

子

結城秀康ゆうきひでやす

1574年 — 1607年

家康の次男。母は於万の方(長勝院)。結城氏を継ぎ、のちに越前を領した。

03 / FAMILY STORIES

家族関係の解説

つながりの先にある、一族の物語。

家康の家系図には、母の異なる子どもたちと、婚姻を通じて結ばれた家々が描かれています。将軍になった人物だけを追うのではなく、母から子へ、娘から婚姻先へと線をたどると、一族の広がりが見えてきます。ここでは、収録した人物から読み取れる四つのつながりを紹介します。

母からたどる、子どもたちの枝分かれ

家康を父とする子どもたちも、母をたどると違ったまとまりが見えてきます。築山殿の子が信康と亀姫、於万の方(長勝院)の子が結城秀康、西郷局の子が秀忠と忠吉です。「家康の子」という一つの呼び方の中に、複数の母系が重なっています。

たとえば秀忠と忠吉は父母を同じくする兄弟ですが、信康や秀康とは母が異なります。図を見るときは、家康から下へ進むだけでなく、それぞれの母へ線を戻してみてください。兄弟姉妹のまとまりと、一族の枝分かれを一緒に読み取れます。この家系図は主要な子女を収録したもので、すべての子どもを網羅しているわけではありません。

参考:岡崎市観光協会 正室・側室、家康公の子どもたち

家康から秀忠、そして家光へ

家康の子どもたちのうち、将軍職を継いだのは三男の秀忠でした。1605年、家康は秀忠に将軍職を譲っています。その後、第3代将軍となったのが秀忠と江の子・家光です。家康から秀忠、家光へと縦にたどる線は、親子三代のつながりであると同時に、将軍家の継承を示す線でもあります。

家系図では、秀忠の隣にいる江にも注目してみてください。家光の母である江は、崇源院という名でも知られます。将軍の名前だけを並べた一覧とは違い、父と母を一緒に見ることで、家光がどの家族の中に生まれたのかが分かります。

参考:国立公文書館 千姫の輿入れ、目黒区 旧崇源院霊屋宮殿

千姫を通じて結ばれる徳川家と豊臣家

秀忠と江の娘で、家康の孫にあたる千姫は、1603年に豊臣秀頼と婚姻しました。秀頼は豊臣秀吉の子です。図の中では、家康→秀忠→千姫と続く親子の線が、千姫と秀頼の婚姻によって豊臣家につながります。

国立公文書館の解説では、婚礼の2年後に家康が秀忠へ将軍職を譲る一方、秀頼も高い官職に進んだことが紹介されています。婚姻で結ばれた家々は、政治の場でも向き合っていました。千姫と秀頼を結ぶ一本の線は、両家の歴史を家族の側から読む入口になります。

参考:国立公文書館 千姫の輿入れ — 舜旧記

信康の娘たちから、別の家へ続く系譜

将軍家とは別の枝として、家康の長男・信康の家族にも目を向けてみましょう。信康と、織田信長の娘である徳姫との間には、登久姫と国姫という二人の娘がいました。国立公文書館の解説によると、信康の死後、二人は祖父の家康のもとで養育されました。

登久姫は小笠原秀政に、国姫は本多忠政に嫁いでいます。一族の系譜は、将軍職を継いだ枝だけでなく、娘たちの婚姻を通じても続いていきます。 この図では信康から二人の娘までをたどり、その先に小笠原家・本多家とのつながりがあることを思い浮かべてみてください。

母の「徳姫」と娘の「登久姫」は読みが似ていますが、別の人物です。名前だけで判断せず、親子の線と世代を合わせて見ると区別しやすくなります。

参考:国立公文書館 信康遺児の養育 — 寛政重修諸家譜

家系図でつながりをたどる ↑
CRESTS / 家を象徴する意匠

関連する家紋

受け継がれてきた意匠から、一族の歴史をたどる。

04 / HISTORY

家・一族について

この家系図は、徳川家康の親世代から孫世代までを、複数の母系を含めて読み取るために構成したものです。家康の父母である松平広忠と於大の方から始まり、築山殿・西郷局・於万の方を通じた子女のつながりを示しています。信康の家族と秀忠の家族を別の枝として追うことで、同じ家康の孫でも、父母の組み合わせが異なることを確認できます。
信康の娘である登久姫と、その母である徳姫は、読みが似ていても別の人物です。一方、家康の幼名や改名前の名は別名欄にまとめ、同一人物の重複を避けています。家光にも竹千代という幼名があるため、名前だけでなく親子関係や世代を合わせて確認してください。
資料で確認した範囲の人物・関係を収録しており、家康のすべての子女や、その後の婚姻を網羅した家系図ではありません。人物の年表と家族関係はそれぞれの出典に戻って確認できます。生没年は参照資料の和暦に対応する年表記を用い、旧暦の月日をそのまま西暦の月日として表示しない方針です。

国・地域
日本
時代
江戸時代戦国時代安土桃山時代
人物ジャンル
将軍武将大名
タグ
徳川家松平家
05 / REFERENCES

出典・参考資料

記録の根拠をたどり、さらに深く知る。

注記

公開資料に基づき、主要な家族関係を紹介しています。すべての子女・婚姻関係を網羅するものではありません。

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