PUBLIC GENEALOGY / 人物と歴史をめぐる
実在篤姫の家系図
徳川家定の御台所。島津家から将軍家に嫁ぎ、天璋院と称した。
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家系図をたどる
世代数に合わせて家系図全体を表示しています。横に広い図はドラッグ・横スクロールで移動できます。人物を選ぶと、その人を中心に表示します。
関係線の見方
- 実親子・血縁
- 養親子
- 継親子
- 婚姻・配偶者
- 側室・パートナー
- 兄弟姉妹(親子線がない場合)
- 同じ子を持つ親同士
血縁を優先して世代を配置しています。養親子・継親子の補助線は、同じ世代の人物を結ぶ場合もあります。線にマウスを重ねると関係を確認できます。
主な人物
篤姫を中心に、それぞれの人物とのつながりを紹介します。
養父の養子の父親
島津久光しまづ ひさみつ
1817年 — 1887年
幕末の薩摩藩政を主導した人物。島津斉彬の弟で、子の忠義を藩主として支えた。集成館事業の再興などにも関わった。
養父の母親の父親
池田治道いけだ はるみち
鳥取藩主。島津斉興の正室となった周子(弥姫)の父で、島津斉彬の母方祖父に当たる。
養父の母親
周子かねこ
鳥取藩主池田治道の娘。島津斉興の妻で斉彬の母。
養父
島津斉彬しまづ なりあきら
1809年 — 1858年
薩摩藩主。集成館事業を進め、西洋の技術を取り入れた。
養父の父親
島津斉興しまづ なりおき
薩摩藩主。周子との間に斉彬をもうけた。
父親
島津忠剛しまづ ただたけ
今和泉島津家の当主。篤姫の実父。
養父の養子
島津忠義しまづ ただよし
1840年 — 1897年
島津久光の子。幕末に薩摩藩主を務めた。
中心人物
篤姫あつひめ
1883年没
徳川家定の御台所。島津家から将軍家に嫁ぎ、天璋院と称した。
配偶者
徳川家定とくがわ いえさだ
江戸幕府第13代将軍。篤姫を御台所に迎えた。
養父の養子の父親の母親
由羅ゆら
島津斉興の側室で、島津久光の母。正室の子斉彬とは異なる母方の系統を示す人物。
家族関係の解説
つながりの先にある、一族の物語。
実父忠剛、養父斉彬、夫家定を掲載。近衛家の養女にもなった経緯は本文で説明する部分系図です。
家・一族について
薩摩から将軍家に嫁いだ篤姫の実家・養家と婚姻を示します。
家族・一門のつながりとして、島津斉興、周子(島津斉彬の母)、島津久光、島津忠義、池田治道、由羅(島津久光の母)も掲載する。実親子・養親子・きょうだい・婚姻は関係線で区別している。
- 国・地域
- 日本
- 時代
- 江戸時代明治時代
- 人物ジャンル
- 政治家
出典・参考資料
記録の根拠をたどり、さらに深く知る。
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生年は天保6年と天保7年の記載があり、本図では確定しない。
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176頁。尚古集成館『島津家おもしろ歴史館』(1991年)より改変・引用された系図。
注記
主要な親族を掲載した部分系図です。生没年が確定できない人物は年を空欄としています。 2026-10-20 少人数家系図の再調査:4人→10人。既存人物・出典・公開状態を保持。追加範囲と留保は small-trees-2026-10-20 の監査記録を参照。
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島津斉彬の家系図
薩摩藩主。集成館事業を進め、西洋の技術を取り入れた。